2005年04月30日

数十度傾き高速走行、転覆脱線ほぼ断定…尼崎事故

 兵庫県尼崎市のJR福知山線事故で、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は29日、線路から約2メートルも離れたコンクリート製電柱に事故車両が接触し、内部の鉄筋がむき出しになるほどの損傷を残していることから、車両はカーブ内で左側に数十度も傾いたまま高速走行していたとの見方を明らかにした。

 このことなどから事故調は「事故車両の右側車輪にかかる輪重(りんじゅう)がなくなって浮き上がり、車両が左に転倒したとみられる」として、事故は「転覆脱線」だったとほぼ断定した。

 損傷を受けた電柱は、事故現場のカーブ入り口から70メートルの地点にあり、地面から高さ約2・5メートルに損傷が残されていた。車両が高速で接触した衝撃により、コンクリートがはがれ落ちている。

 事故調では、電柱に接触したのは脱線のきっかけとなった先頭車両か、2両目と見ている。また接触場所が、車両の車高(約3・7メートル)より1メートル以上低いことから、車両は左に数十度傾いていた可能性が高いという。

 事故調では今後、マンションから取り出した先頭車両の車輪の損傷状況を中心に調査を行う方針。さらに脱線を免れた6、7両目が撤去されるのを待ち、レール上に脱線が始まった地点を示す痕跡がないか調べ、転覆脱線が起きたメカニズムを解明する。

 一方、事故調は29日、先頭車両の運転台に残されていた「モニター制御装置」を回収し、運転データが残っていることを確認した。4両目の運転台からもモニター制御装置を回収したが、データは残っていなかったという。

 先頭車両のモニター制御装置は、事故調がすでに回収、解析を進めている5、7両目の装置とは異なり、非常ブレーキの作動状況などの、事故直前の詳しい車両データは記録されていないという。

2005年04月29日

JR西日本の実態と経営

JR西日本の実態と経営(かめさんのつれづれなるままhttp://blog.livedoor.jp/kameiharuhiko/により抜粋)

@JR西日本の実態

JR西日本という会社は旧国鉄で、1985年に分割・民営化している。
旧国鉄は非常に大きな債務を抱えており、その一部は税金で負担されている。
JR西日本も決して資産的に良い状態ではなく、非効率、赤字路線をたくさん持たされている。しかしながら、黒字化することを求められている。
その点で、結構予算的には厳しい。

ここで、特筆すべきは、JR西日本の人口ピラミッドである。

実はあの会社、33−43くらいの人がごっそりいない(少ない)わけだ。



なんだそりゃ、と思われるかもしれないが、バブル後、経費削減の流れの中で、長いこと採用を見合わせていたのである。
ということはつまり、普通の会社以上に若手と年配者が多い会社なのである。年配者は判断などの観点から車掌とか管理職になることも多いと思われるので、運転士は必然的に若手となる。若手だって、昔みたいに人数を入れているわけではないから、免許取立てでも貴重な戦力とされたことが容易に想像できる。駅員さんにすればいいじゃないか、という声が聞こえてきそうだが、JR西日本では、駅員さんですら派遣だったりもするわけだ。JR西日本正社員はほとんど重責を持っているのかもしれない。


AJR西日本の経営
経営的に言えば、JR西日本は大きく利益を稼ぐポイントは大阪くらいしかない、と頑張っていたわけだ。ある意味では正しいだろう。
では、本当にJR西日本は全力を尽くしていたのか?

JR西日本の経営改革はコストカットにつきる。やることの大枠は変えず、社員を厳しくみている。ダイヤだってそんなに変わらないし、路線が増えたりすることもない。駅周辺を盛り上げようとする事業も近鉄などの私鉄ほど頑張ってきたわけではない。そもそも今の経営陣はほぼコスト感覚のない元公務員である。

経営においてミドルの存在が取りざたされることがあるが、
ミドルマネジメントをする人があまりいなかったために、
@若手と年配者のコミュニケーションがうまく行っていなかった、
A新しい改革をする人が少なかった、
その結果、として経営改革がうまくいかなかった>コストカットのみを徹底>社員の負担増大、となったのではないだろうか。

事故が起こったのを、社員のせいだけにしてはいけない。
すでに企業構造が問題だったのかもしれない。
それを結果的に強要したとするならば、民営化の時点で問題があったのかもしれない。

尼崎脱線事件と呼ぼう

今回の事故、非常に人為的なミス、ミス隠しの体質などが多く見られる。

事故というより事件というほうが適切ではないか、という論調も多々見受けられる中、
当BLOGでは、「尼崎脱線事件」としての名称を確定させ、責任の追及を強化する一方、JR西日本に改革を促すことが、今後の事件防止にもつながると感じたので、当面そうさせていただこうかなと思う。

有志の方は、追随していただければいいなと思う。

脱線、時速120キロ程度でも…JR試算を下回る

脱線、時速120キロ程度でも…JR試算を下回る

 兵庫県尼崎市のJR福知山線で25日朝に起きた脱線事故で、現場の右カーブで脱線が起きる恐れが生じる危険速度は、JR西日本が発表した「時速133キロ以上」よりも実際にはかなり低いことが28日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調べで明らかになった。


 事故調の解析では、同社が危険速度を計算する際、乗客はゼロとし、気象条件を一切無視するという非現実的な想定をしており、同社の試算は「机上の空論」に近い。専門家は、実際には時速120キロ程度で転覆脱線が起きる危険性があり、急ブレーキなどの悪条件が加わればさらに低速でも脱線が起きていたと指摘している。

 JRが危険速度を公表したのは事故当日の会見。制限速度70キロの現場カーブについて「計算上は133キロで脱線する」と発表した。事故を起こした207系車両の最高速度は120キロとし、速度超過が脱線の原因にはならないかのような主張だった。

 しかし事故調が改めて同社の試算を解析した結果、133キロは脱線の危険速度ではなく、脱線よりも重大な転覆の恐れが発生する「限界速度」だった。さらに試算は、空車を想定したうえ、レールや車両への影響が大きい横風や湿度などの気象条件を排除していた。

 実際には、事故当時の車両は満員状態に近かった。電車は乗客が多いほど、重心が高くなって不安定さが増す。また制限速度を超える約100キロでカーブに進入したため、想定より4倍の遠心力がかかっていたうえ、急ブレーキも加わり、事故車両はJRの「理論値」よりはるかに不安定な状態だったと事故調は見ている。

 「交通安全環境研究所」の松本陽・交通システム研究領域長も、「実際の転覆の限界速度は、高くても120〜125キロ程度だったのではないか」と指摘。これに急ブレーキなどの悪条件が加われば、限界速度はさらに低くなるという。

 事故調では今後、最初に転覆脱線したとみられる先頭車両の損傷状況の調査を実施。事故発生当時の乗客数や気象条件などを前提として、「机上の空論」ではない実際の限界速度を算出する方針だ。

 JR西日本は事故後、危険速度は時速133キロとするとともに、線路上の置き石が脱線の引き金になったかのように発表していた。これについても事故調は28日、置き石があった可能性を全面的に否定した。

 事故調は、レール上にあった白い粉を鑑定した結果、外部から持ち込まれた物体ではなく、線路内のバラスト(敷石)が車輪に踏みつぶされたものと断定。また、先行電車が通過後の短時間に、石をレール上に並べることはほぼ不可能で、「テロやいたずら目的とは考えにくい」としている。

2005年04月28日

現役運転士が告発「ダイヤ自体無理があると感じる」

現役運転士が告発「ダイヤ自体無理があると感じる」


 会社のダイヤでは難しい−。JR福知山線の脱線事故で、JR西日本の現役運転士が28日午後、大阪市内で記者会見し、「ダイヤ自体に無理があると感じる」と、過酷な勤務であったことを明かした。

会見したのは尼崎電車区に所属する幸(みゆき)義春運転士(41)。現在も福知山線で運転する18年目のベテランで、当日も事故直後に、同線を運転する予定になっていた。

 これまでの会社側の発表などから、亡くなった高見隆二郎運転士(23)は事故直前に、伊丹駅で40メートルのオーバーランを起こし、1分半の遅れが出ていたことが明らかになっている。

 これに関し幸運転士は、「電車を(正しい位置に)戻すだけなら、それほど時間がかからない。われわれ運転士は、駅間5秒しか縮まらなくても、縮めようと努力する。それまでの遅れを取り戻そうと焦っていたのが、逆にオーバーランにつながったのではないか」と分析した。

 さらに、「伊丹駅の乗降時間はラッシュ時でさえ、15秒しか与えられていない。あまりに短すぎで、会社が作製したダイヤで運転するのは、難しい」と実情を説明した。

 事故現場のカーブは半径300メートルの急な右カーブで、高見運転士は制限速度を30キロ以上オーバーする108キロのスピードで進入していたことが判明している。幸運転士は「自分自身、71、72キロで入ったことはあるかもしれないが、80、90キロ以上で入るのは考えられない。勤務態勢がきつい影響で体が思わしくなく、集中力が薄れていた可能性もある」と、当日(泊まり)明けの勤務で4時間連続乗車が響いたのではないかと推測した。

 幸運転士自身、平成13年6月に芦屋駅に停車した際、車掌の間違った連絡で1分早く車内扉を閉めたことで、1日だけ日勤教育を受けた経験をもつ。「事情を説明しても、上司に信じてもらえない。ミスした結果から責められるので、不注意でしたと、認めるしかなかった。反省文は自分を偽らないと書けるものではなく、次に問題を起こしたら、運転士をやめますとまで誓わされた」と、その恐怖を語っていた。
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